昭和27年、陽之助、インターナシヨナル映画株式創設

インターナシヨナル映画会社の創立者、陸奥イアン陽之助

こんにちは。インターンの根本です。

前回は、弊社が「とっても歴史ある会社で、だからこそできる動画制作があるのです」的なことを書かせて頂きました。

なので、今日は、

インターナシヨナル映画株式会社の創立者、陸奥イアン陽之助について書きます!!

私自身、インターナシヨナル映画株式を知ったのは、彼のことを知ることとほぼ同時でした。

弊社一同、日々、陽之助を誇りに働いおります(笑)

陸奥イアン陽之助

「日本を世界に伝える」。

それがインターナシヨナル会社のルーツであり、陸奥家のDNAです。

陸奥と聞けば、多くの人がまず思い浮かぶでしょう。 そうです。

陽之助の祖父は、日本の不平等条約の改正を成し遂げた、あの「カミソリ大臣」で名高き陸奥宗光です。

 

陽之助、ジャーナリズムへの情熱

陸奥イアン陽之助は、ジャーナリストとして「日本を世界に伝え」ました。

昭和5年(1930年)、23歳の陽之助はジャパン・アダバタイザー(現ジャパン・タイムズ)に入社。

英米の事情に明るい陽之助は、海外ニュースを手掛けながら、紙面を通じて日本文化の紹介に努めました。

陸奥イアン陽之助 UP時代 吉田茂首相を取材中

 

UP時代の陽之助、あるアイディア。

戦時中、米国が撮影したニュース映画。

フィルム1フィートにつき10セントで購入し、それをつなぎ合わせて1時間20分の長編ドキュメンタリーを制作します。

題名は『日本やぶれたれど』。ナレーションは徳川夢声。 題名の「〜たれど」に日本再建への願いを込めたそうです。

『日本やぶれたれど』は、昭和23年に東宝系で全国公開されるや大ヒット!!

当時の有楽町日劇が満員札止めとなるほどの盛況でした。

 

フィルムメーカーとして次の時代へ。

『日本敗れたれど』の成功は、陽之助にある確信をもたらします。

「日本のことをより広く海外に知ってもらうには、新聞やラジオよりも、映画のほうが良い」。

インターナシヨナル会社は、そして、創立されたのです

(『陸奥イアン陽之助公式サイト』より http://impc-younosuke.jp/)

 

インターナシヨナル会社は、これからも

お客様の思いや、日本の本当の姿をことを伝え続けます。

Spotlight Movie で様々なジャンルの動画制作の依頼を受けるだけでなく、 伝えるべき日本の姿も映像で伝えます。

例えば、最近では、野澤和之監督の『61ha絆 』を上映しました。

ハンセン病にかかっても、懸命に生きた夫婦のドキュメンタリー映画です。

【61ha絆 予告編 /61Hectares Kizuna Trailer 】